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as ever
〜あいも変わらず〜


まったりと近況報告ページを作りました。
みなさんと会うことも少なくなると思いますし・・・。

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2003/08/27 (水)  レポート完成っと。こんな感じになりました。
2003/08/25 (月)  観念について考えてみた。
2003/08/22 (金)  I'veサウンドを調べてみる。知らなかった私が馬鹿なのか(苦笑)
2003/08/21 (木)  ここは避けて通れないかな。オフ会について其の弐です。
2003/08/20 (水)  記念すべき日をお祝いいたします。
2003/08/19 (火)  ウイルス大流行。チャットで質問ばかり受けてました(苦笑)
2003/08/18 (月)  色々イベント多くて・・。馬基礎其の参買えました〜♪(苦笑)
2003/08/07 (木)  部屋の模様替え。一日かかったけど楽しい♪
2003/08/05 (火)  一段落。次は部屋の模様替えかな♪

2003/08/27(水) 『レポート完成っと。こんな感じになりました。』

 今日で、死生観についてのレポートをまとめました。

 夏休みも終わりだって言うのに、ここまでこの課題だけ引っ張った私も馬鹿ですね(苦笑)

 文章が長いので、今日は内容だけご紹介することにします。

 とにかく思ったこと。
 このレポート課題はまとめるのが大変だってこと。

 気がつくと一般論になりそうで、非常に苦労しました。
 さすが夏休みの課題ってところですね。

 まだまだ未熟な観念ですが、今の私がどう思っていたのか、振り返ったときの目印になればいいなぁって思います。

 それではどうぞ。


「死生観について」

 私達は、死にゆく人の最後を見届ける立場にあります。 死にゆく人の最期に立ち会ったその時、その人をどのように考え、どのように接するかということを考えるにあたって、はっきりとした死生観が必要になると思います。
 ただ、その死生観はそれぞれ個人違った観念であることを忘れてはいけないでしょう。他の死生観を理解することができてこそ、自分の持つ死生観に意味があるのだと思います。
 死生観を考えるにあたって、医療従事者として最初に考えなくてはいけない事は「病名告知」ではないでしょうか。
 病名を患者本人に伝えるか否か。
 日本では、死をタブー視しようとするあまり、多くの人が十分な心構えがないまま、病気や死に向かい合っています。
 患者は自分の病名を知る権利があります。
 私は病名告知はするべきだと思っています。
 原則は真実を伝えるのが基本でしょう。
 しかし、心構えのない状態である患者に病名を知らせたとき、患者が感じる喪失感は相当なものでしょう。
 その思いを受け止めるには孤独にしないこと。具体的には、直接的な触れ合いにより愛情を注ぐことが必要なのではないでしょうか。
 意思表示ができないまま死を迎える人達もいます。
 意思表示ができる患者に対しては、患者自身が「自分の看護に関するどのような決定に参加する権利」を持ち続けられるようにする必要があるのだとおもいます。
 現在の医療において、尊厳死、安楽死については、本人の自発的意思表示が必要であり、有効な方法といえばリビングウィルがあるでしょう。
 欧米などでは、生前に文書で末期医療についてリビングウィルし、医師はそれに基づいて治療を行うよう法律で義務づけられています。
 ですが、日本では法制化はされておらず、むしろ患者と医師との信頼関係を深めることが望ましいと結論づけています(厚生省の検討会 平成10年6月26日報告書より)
 私はこれでよいと思います。法制化をするような内容ではないと思うのです。
 他の国はともかくとして、日本では何か違った方向性が見いだせるように思います。
 法律化に関わらず、「生と死」を正面に見据えて、自己決定によって、自分だけの生と死を決めることに意味があるのではないでしょうか。
 それはQOLの向上を目指すもので、日本医療の方向性として同意したいと思います。
 では、意思表示ができないまま死を迎える人達はどうしていくべきか。
 患者は自己決定ができません。その結果、本人の意志に関われず、ぎりぎりまでの延命処置がされているのが現状です。
 私はいのちはどのようなときでも自分のものだと考えます。
 それ故に、患者が自己決定するのならば、本人の意志を尊重して望む生死に従いますが、患者の自己決定ができない状態であれば、自分ならば拒否するような無駄な延命処置であっても、患者には実施するのだと思います。
 実際、私がその患者の立場であれば、緩和ケアを実施してほしいと言うと思います。けれど、看護する時にはその命を絶つ権利があると思えないので、延命処置をすることを選ぶのだと思います。そこにはジレンマがあるのだと私は感じます。
 緩和ケアというと、今は、「身体的な痛み」「心の痛み」「社会的な痛み」のほかに「スピリチュアルな痛み」が取り上げられていますが、生命の存在に対して感じる痛みにまで医療が踏み込んで治療していくことにより、死にゆく患者の権利を守ることができるのではないかと思います。
 ありったけの延命処置を施すことで、脳死という現象が生まれました。しかし、日本人は脳死を人の死と認めようとしない気風があり、さらに、死者に対して臓器を持っていったり、死者から臓器をもらってまで生きながらえようとすることを非人道的と考える風潮があるように思います。それは、脳死による臓器移植の推進の妨げになっているように感じます。
 親類からの生体移植は美徳で、死体からの移植は非人道的だと考える死生観が悪いとは思いませんが、ひどく曖昧な観念だと私は思います。欧米的な、死体から有効に活用して臓器移植を行うことを良しと考える死生観のほうが非常にすっきりしていて、日本で脳死移植を更に推し進めていくには、日本人それぞれが、自分の持つ死生観を周りの人と一緒になって検討する必要があるのだと思います。
 課題はたくさん残されています。特に、マスコミ報道により守られなかったことのあるプライバシーの保護の問題については、マスコミ報道など必要ないと考えます。
 基本的に医療は守秘義務を負っています。その医療治療がドナーと移植を受ける人がいるという特別な関係であっても、個人的な情報を報道することは不要だと強く感じてしまうのです。
 臓器移植には、基本的に本人の意思表示が必要なものがほどんどで、これには大いに賛成したいのですが、法律がついてきてないことに不満が残ります。文書として意思表示ができるのは15歳以上とする民法がありますが、15歳以上でないと有効でないドナーカードであることからも、法律が立ち後れていると感じるのです。書面による意思表示ができるのは15歳以上とする根拠が現在の社会の中で明確でない。
 それは、少年犯罪が増加する中で、古くさい少年法がいまだに適用されている現実に似ているのではないでしょうか。
 私の記憶が正しければ、1995年から2000年における15歳以下の子供への肝臓移植の成功率は50%足らずという報告結果を見たことがあります。
 この結果を調査グループは、大人の大きさの臓器が子供に適合できないことが多いからだと分析していました。
 私は今の法律が悪いと言い切るつもりはありません。ですが、禁止する必要はないでしょう。自己決定による意思表示があれば、それは許されるのではないでしょうか。
 子供達は生かされてるのではなく生きています。意思表示はもっと尊重されるべきだと思います。
 最後に、患者の視点からではなく看護する側から考えたいと思います。
 私達の多くは「死」の場面に出会っています。ですが、特定の誰かの死を直視していた事があったでしょうか。
 死生観を養うことの重要性は看護に限らずずっと語られてきていることです。生死学としてではなくても、何らかの形で「死とはいったい何か?それを見つめることの重要性」が論じられていると思います。
 それが大切であることはわかっているつもりです。しかし、死を見つめることが、覚悟を決める手段として捉えられていることがあると思います。
 死んでいく患者にとって、死というのは本当に自分の問題であり、個別的、主観的、主体的な問題で、命の問題です。ですが、医療は壊れている機械を修理するようなもので、「人」である部分を除いた治療になっている。
 その結果、患者を物として捉え、その死を「三人称の死」として捉えがちなのではないでしょうか。
 患者にとっての安らかな死と、医療従事者が考える安らかな死の間には大きな隔たりができているように思えてなりません。
 このことを考えるきっかけになったのは、アメリカで「燃え尽き症候群」という症状が看護師に起きているということです。
 一言で言うなら、魂が燃え尽きてしまい、自分でいられなくなる現象です。
 医療の現場で、患者さん、特に生死をさまよっている患者さんに機械的な対応をすることは不自然で、心に嘘をつかなくてはいけない。病院において病人の死は非常に機械的に扱われる中で、自分を騙し、自分自身の本音を隠して医療を行うことに耐えきれなさを感じていくのではないでしょうか。
 患者や家族は、「立派な死」や「安らかな死」を支えてくれる、「立派な看護師」や「死生観のしっかりした看護師」を望んでいるのでしょうか。私は、目の前の死んでしまうかもしれない大切な「その人」から逃げないで、人として対面し続けてくれる看護師をまず求めているのだと思います。もちろん、立派で死生観のしっかりした看護師であればなお良しなのですが。
 死生観は考えてこそ変化します。
 これから私は「正しい看護」と言われるものを学ぶことになりますが、何が本当に「その人にとって」一番良い看護かを考えることを止めることなく、患者と共に学び続ける姿勢を持ち続けようと思います。

 以上です。それではまた明日っ♪  


2003/08/25(月) 『観念について考えてみた。』

 今日は朝からレポート課題を書いてました。

 まだ草案ができあがっただけなんですけど。
 死生観というテーマで書いてます。

 そういうわけで、朝からずっと、考える、散歩にでかける、ちょっと寝る、考える、といった繰り返しをしながらの一日だったのですが、非常に疲れました。

 今日は短くまとめようと思うのでポイントから。

 私が切実に感じたことです。
「観念」は、まとまっていなくてはいけないって事。

 テキトウに考えてると、それらしい事はでてくるのですが、突き詰めて考えていくと「第三者」な観念であることに気付かされることが数多くありました。

 よくありますよね。
 例えるならこんなかんじ。

「○○は大切なことだ!ただ、△△の事を考えると○○が良いとはいいきれない。むしろ××ではないかと思う。」

 あんたの意見はなんなんだ?って思いますよね。
 自分で考えた時に、こうなってしまうことがあるわけです。

 この状態で人に意見できるはずもありませんし、当然文章として書くことはできません。

 何一つ自分の答えになってないからです。

 これは、日常生活でもよくあることかと思います。
 こんな状態のままで人と接すると、きっと相手に嫌われちゃいますね。

 自分がどういう観念を持って生きるのか。

 死生観について考える事は、まずここから振り返ってこそ始まるのではないかと、私は感じました。
 自分をまず自覚してから、周りをみないと、考えまで第三者視点になってしまいそうで。

 明日もレポートの内容を整理しようと思います。
 それではまたねっ♪


2003/08/22(金) 『I'veサウンドを調べてみる。知らなかった私が馬鹿なのか(苦笑)』

 今日はずっと家で音楽聞いていました。

 ところで、昨日の日記。

 ほとんど反響ありませんでした(苦笑)
 というわけで、オフ会話はこれにて終了です。

 さて、私が聞いていた音楽ですが、実は「I've」系と言われる音楽を聴いてました。

 北海道を拠点とする音楽集団なのですが、私はほとんど知りませんで。

 分かりやすく言うと、あの有名な曲、Last RegretやShooting StarがI've系ソングと知らなかった位に知らなかったのです。

 チャット会話には、よく名前や曲名がでてくるものの、私だけ何も分からなくて、今日は関連サイトを回ってみました。

 ちょっとだけ全容がわかってきましたので、これで会話について行くことができれば・・・いいなぁ(あせあせ)

 話は変わりまして。
 今日は嬉しいものが届いてきました。

  
エーオーアイさんが制作して、夏コミにも出品していた同人ソフト「教えて マイトレーヤ」です。

 夏コミの時に買いに行ったところ、売り切れていまして。
 後日、ご本人さんとICQチャットで話をしていると、なんと宅配便でソフトを送ってくれました。
 しかも無料でいいとのこと。いい人です。

 さすがに、これはプレイをして感想でも送らなくてはと思いまして、プレイ開始です。

 三国に分裂した大陸で行われる、ファイアーエムブレム風のシミュレーションRPGなのですが・・・。

 第一章(ステージ1)で主人公負けました(苦笑)
 これって結構レアな負け方のような気がします・・・。

 ゲームクリアは遙か先の事になりそうですが、気長に感想メール待ってくださいませ♪

 では、今日は先日の続きで、またまた本の紹介です。

 今日の本はとってもディープです。

「私のいじめられ日記 先生、いいかげんにして!」(ISBN4-7872-3063-8)です。

 青弓社から出されています。
 著者は土屋怜/土屋守の二人です。

 では、いつも通りにポイントから。

 この本は、多くの教育本とは違ったものです。

 というのは、この著者にある「土屋 怜(つちや りょう)」さんは、この本が出された時、京都市立K中学校在学中でした。

 題材となる人が、著者さんです。

 いじめられていた土屋怜さん自身が、「在学中に自分で書いた文章」なのです。

 その中には、カウンセリングの一環として、いじめられていたその時の内容を日記に記していたのですが、その内容もそのまま掲載されてました。

 一通り読むと分かりますが、その内容は、どんな文章よりも明瞭で、また激しく表現されています。

 私自身、いじめることもいじめられることも経験して今に至ってます。
 それ故に、この文章は、私の心を大いに響かせます。

 この本を読むと、自分の生活の延長線上に、本に書かれているような事があるように思えてなりません。

 自分とその周りの生活を振り返り、その生活を見据えるには、この本に勝る良本はそうそう見つからないと思います。

 もし、近くの図書館ででも見つけることができれば、ご一読下さいませ。

 前半は中学生の書いた文章です。読みにくいことはありませんので(苦笑)

 ちょっと内容が重すぎたかなぁ。
 明日はまったり話題でも考えることにします。

 それではまたねっ♪


2003/08/21(木) 『ここは避けて通れないかな。オフ会について其の弐です。』

 先日ちょこっと書きました、オフ会についてのお話。

 私の日記ではあっさりと書いていたのですが、私の想像より遙かに多くの反響をいただきました。

 それだけ身近な話題だったということなのでしょう。

 こうなると、やはりここは避けて通れません。
 もう少し、私からの視点で「オフ会」について書いてみたいと思います。

 今回の文章は、以前紹介した
たけぽんさんの日記を意識して書こうとおもいます。

 たけぽんさんの日記は私の文章を意識していたらしいので、こんどは逆です。
 ただ、同じ切り口は楽しくないので、展開は変えてお話します。

 まずは、前回の話をそのまま掘り下げてみます。
 オフ会は「○○○のオフ会」です。

 ○○○は、オフ会の性質を示すものです。
 集まりの名前が入るべきなのですが、人の名前が入ってしまっていることもありますね。
 これは問題外なので、オフ会だと考えないでわいわいしてましょう。真剣に捉えるだけ無駄です(苦笑)

 では話を戻して。
 この○○○というのは「オンライン」の共通です。

 では、オンラインの共通をそのままオフラインにあてはめて、具体的に話を進めてみましょう。

 オフラインに当てはめたときのキーワードは、たいてい2つになるかと思います。

「チャット仲間」と「○○○(趣味)」

 たったこれだけです。
 
 私はこれを『ネット趣味繋がり』と名付けているのですが、MMORPGが流行り始めて、非常に増えたと思います。

 これの問題点は至って明瞭です。

 人を見てません。

 趣味繋がりのところと、チャット仲間のところだけが注目されます。

 この結末は、相手と触れ合わなかったときにわかります。

 相手が出てこないならチャットできない。
 相手が出てこないなら趣味な事ができない。

 そう思われたとき。 
 私の存在は、他の人に取って代わられます。

 もちろんすべてではないです。
 その人に惹かれて、繋がりが残ったときに、オフラインでのお付き合いが始まるのですが、ここまで到達できる人は、全体の1割以下なのではないでしょうか。

 ネット趣味繋がりが消えたときに、私の場合は9割程度が離れていきました。
 私の努力不足なのかもしれませんけれどね(苦笑)

 さて、話を戻しまして。

 普通に「オフ会」をすると、ネット趣味繋がりの不自然を抱えたままで、開催されます。

 チャットと趣味でしかつながってない人ですから、オフラインで何ができるわけでもありません。

 せいぜい、食事会しながらお話(オフラインチャット)が限界。

 それ以上は、さらさら共通項がないのですから、うまくいくはずもないと言うのが結論。

 それをそれぞれの人が表現すると、たけぽんさんの言葉を借りると、ベクトル違いが露見します。

 あとはそれをどのようにつき合っていくのかってこと。 

 人としてつき合っているなら、それも受け入れることができるのでしょうが、ネット趣味繋がりな「オフ会」では、そこまで受け入れる人はいないでしょうし。

 最後にさっとまとめるとこうなります。

 ネット友達(ネット趣味繋がりのお友達)は現実世界の友達とは別物だと思います。

 でも、現実世界の友達になりえるのがネット友達です。

 前回の繰り返しになりますが、何を目的とするのかをしっかり見据えて取り組むことが必要だと思います。

 これでまた反響があったら、今度はオフラインならではの「開催地」がある「オフ会」について書いてみようと思います。

 結論だけ先に書いておきますね。

 オフ会は観光案内ではありません。
 ただ、開催地がある以上、場所にかなうだけの舞台を用意してこそのオフ会でしょう。

 参加者、主催者共に、何を求めてオフ会をするのか熟考して、価値あるオフ会を作り上げたいと思います。

 今日は本の紹介しようとおもったけど、これでおしまいにします。
 それではまたねっ♪
 


2003/08/20(水) 『記念すべき日をお祝いいたします。』

 今日は、姉の誕生日&両親の結婚記念日でした。
 忘れようにも忘れられない区切り目にあたる日。

 私は、朝から図書館に行って、一度読んだことのある本をもう一度借りていました。
 なんとなく、この日になると読みたくなる本がありましてね。

 何冊か借りてきたのですけれど、今日は一冊の本に注目してお話しようかと思います。

 小学館から『「少年A」の告白』という本です。(ISBN4-09-396351-7)

 まずは、内容をさらっと。

 女性セブンに掲載された内容をまとめたものなのですが、少年犯罪の事件に対して取り組んだ弁護士と犯罪を犯した少年(少年A)との物語です。

 いきなりですが、この話のポイントから。

 私は敢えて言いたいのです。

 少年法は少年のプライバシーを保護し、マスコミ報道も最低限に限らせるものです。

 ですが、それによって真実を知らないまま、事件を見ているのだと思うのです。

 この本にでてくる少年達の犯罪は非常に極悪非道に見えるものばかりです。

 一番目に紹介されているものの概要をあげてみます。

「女子高生コンクリート詰め殺人事件」

 帰宅途中の女子高生を誘拐して、暴行虐待して殺した上に、コンクリート詰めして遺棄した事件。

 これを見て、この事件を起こした少年達に共感するひとはいないでしょう。

 ですが、その動機に至る少年の気持ちを知れば、その考えがふさわしいものか考えさせられることもあるでしょう。
 私もまたその一人。

 本の副題を引用すると、このように書かれてます。

「母に優しくされることだけを夢見た少年は、母に従い、そして裏切られた」

 私的にまとめると、夫婦間の問題が子供を苦しめ、歪んだ価値観を持った結果でした。 

 私はいまだに考えるのです。
 行動に至るまでの思いを理解してこそ、やっと相手の本当の気持ちに気付くのだろうと。

 日常生活でも、一つの相手の行動ですべてを判断しようとしてしまうことがあります。

 そのとき、この本を私は思い出します。
 私はまだ理解できてない。だから、まだ相手の本当の気持ちは分かっていないのだと。

 理想論であることは承知しています。
 ですが、本当の気持ちを理解しようとする姿勢はいつでも持ち続けていたいと思います。

 今日は最近話題なしですがごめんなさいね。

 明日も別の本について書こうかと思ってますので、最近話題はお休みの予定です(苦笑)

 それではまたです♪   


2003/08/19(火) 『ウイルス大流行。チャットで質問ばかり受けてました(苦笑)』

 今日は朝から本読みしてました。

 夏休みの課題で「死生観」についてレポートを書かなくてはいけなくて、基礎知識集めしていました。

 暑い中でしたが、落ち着いた一日になったかと思います。
 こういう毎日なら夏休みも楽しいです。

 では今日の最近話題を。

 大阪府の庁内ネットワークがウイルス感染してしまったという話題です。

 そのウイルスの名前は「ウェルチア」っていうのですけれど、簡単に言えば、近頃ニュースにも流れているウイルス「ブラスター」の亜種(トレンドマイクロ社表記:WORM_MSBLAST.D)です。

 セキュリティホールを利用してパソコンに進入して、そのパソコンからマイクロソフト社に攻撃を行ったりするウイルスなのですが、マスコミ報道を見ていると「パソコンが強制再起動してしまう」って事が大きく取り上げられている様子です。

 では今日のポイントです。

 この大阪府庁のネットワークが使用できなくなった理由は、この問題ではありませんでした。

 一言でいうと、ネットワークが混み合って、使えなくなっちゃったってことです。


 感染しちゃったパソコンから、ウイルスが他のパソコンに感染しようと、ネットワーク上を探し回るものだから、府庁ネットワークは大混雑(苦笑)

 この影響により、メール、電子決済ができませんでした。
 部分的なシステム稼働によって、最低限の業務は行うことができたので良かったですけれど。

 実は、このようなネットワークを混雑させるような目的のウイルスもあります。今回は偶然にそのようになったみたいですが。

 現在、出回っているウイルスの多くは、他のパソコンに感染を試みる動作を行います。

 今後も起こりえる内容であることを踏まえて、今後の対策を考えて頂きたいですね。

 それにしても、部分的なシステム稼働ができるようにしていた、府庁システムには拍手です。

 私もブラスターに感染しないように対策しっかりしたいと思います。

 それでは今日はこれにて終了。
 またねっ♪


2003/08/18(月) 『色々イベント多くて・・。馬基礎其の参買えました〜♪(苦笑)』

 大阪オフ会終了。
 浅草観光終了。
 夏コミ一般参加終了。

 ・・・って多すぎますね。トピックス。

 今日、東京から大阪に戻ってきた私です。

 ま・・いろいろと出来事があったので、それぞれ簡単に書いてみようと思います。

 一つ目。大阪オフ会。

 東京組を招待して終わったオフ会でした。
 ま。これに期待をするのはどうかと。

 初めての人と会えたのはいいものの、ほとんど会話できずかなり残念。

 二つ目。浅草観光。

 雨に大苦戦。寄席を鑑賞できたことが一番の収穫。
 時間はあったため町並みをたっぷりとと満喫できたことが、非常に楽しかったです。

 町並みはちぐはぐな印象でしたが、そこに住まう人達は「らしかった」ことが一番の印象です。

 三つ目。夏コミ一般参加。

 初日と3日目に参加。ほとんど閲覧することなしに離脱してました。やる気なしです。

 3日目にどうしても欲しい本が一冊だけあったので、それだけのための夏コミ参加でした。
 500円の為に頑張った自分に拍手です。愛ゆえに〜♪

 この一週間は考えることは多かったです。
 自分自身について、自分の意見、全体の意見・思惑の中で、どうしていくべきなのか。
 旅行中で考える時間はたくさんあったので、それなりにまとめてみました。

 今後の活動に反映させようと思います。

 あえて書くとすればオフ会についてかな。

 他の掲示板でらしきことが書いてあったので、簡単にとりあげますけれど。

 オフ会は「○○○のオフ会」です。
 ○○○に人の名前が入るのか、集まりの名前が入るかでは大違い。

 何を目的とするのかをしっかり見据えることが、私を含めて必要でしょう。
 個人の遊びじゃないからねぇ。

 ネットなオフ会での立ち居振る舞いはとても難しいです。
 ネットなオフ会ってほんと微妙よね(苦笑)

 そう思うと、パソ通時代のオフ会は、目的がはっきりしていて非常に良かったと実感。

 明日から、いつもの書き方に戻します。
 ゆったりと一日を過ごしたいですね。

 それではまたです♪  


2003/08/07(木) 『部屋の模様替え。一日かかったけど楽しい♪』

 今日は朝から部屋の模様替えをしてました。

 とても楽しかったです。
 カーペットの入れ替えをしました。

 今まで畳でしたので、かなり感じが変わったかな。

 一日を要してしまった事は残念でしたが、夏を強く感じることができた良い日でした。

 というわけでして、勉強の進捗はゼロ(苦笑)

 夏ですし、小説の一つでも書いてみようかとプロットはできあがっていくものの、いざ、机の前に座ると、小説書く時間を惜しむ私。

 小市民ぶり発揮です(汗)
 まあ、学生らしく、とっとと宿題を済ませておくことにします。

 また社会人になったら、勉強することも減るでしょうし、のんびりと文章書きたいなって思います。

 ここ数年間を振り返ってみると、本読み=技術書で、文章書き=仕様書作成他or小論文対策。

 部屋の掃除をしてると、自分の書いた小説がみつかったりして、ふと昔を振りかえっていた私でした。

 あの頃は、夜中の3時からでも文章かいてたなぁ・・と。
 今と昔、どちらがいいのかは分かりませんけれど、昔の思い出はいつでも美化されるもの。

 私の過去を問いただす意味でも、どこかで昔の生活を追体験しないといけないなぁって思ってしまったのでした。

 では、今日の話題です。
 厚生労働省の調べで、成人の1/15がうつ病を経験していることがわかったという話題。

 この話題のポイントは、医療機関で診療を受けている人はその中の1/4であるってことです。

「心の風邪」とも言われるうつ病。
 これについては、まだ多くの人が正しく認識できてないように私は感じております。

 というわけで、今日はうつ病についてお話したいと思います。
 私らしく、一部分を取り上げてちゃちゃっといきますね。

 何がともあれ、これだけは理解してほしいこと。
「うつ病」は病気です。

 当たり前の事を書きますが、病気なんです。不可抗力。

 正確な原因は明らかになっていませんが、有力説は脳内の神経伝達物質の不足による病状とされています。

 つまり、精神力でどうこうなるものじゃないってこと。

 人は突然真っ暗闇の場所に連れてこられると、脳に不安物質が分泌されるのですが、それを考えるとわかりやすい。
 ずっと不安物質がでているようなものです。

 とりあえず、その事は誰もが確実に理解しないと駄目です。
 念のため復習でした。

 さて、本題にもどって。

 今回の話題は、病気であるのに、医療機関に診てもらわない人が3/4もいるわけです。

 これは大問題です。

 会社員の場合だと、医師の診断書があれば、休職中の手当金は最大1年6ヶ月間にわたって健康保険から支給されるのですが、そうもいっていられないって事でしょう。

 ただ、放置していて直るものでもないのが「病気」ってものです。
 病気の本質が日常生活にある以上、適切な診療を受けないとどうしようもないのもまた事実。

 周りの人達に「気付かれない」ようにではなく、周りの人達に「理解してもらう」ように自分から心がけて欲しい。

 病気と闘うってそういうことだと私は思うのです。
 まずは認めて受け入れること。

 そして、周りに受け入れてもらうこと。
 そこに自分の居場所があるのではないでしょうか。

 まだ、医療機関に診てもらっていない人は、自分のために、もう一度考えて頂きたいと私は願っております。

「心の風邪」をこじらせてしまわないように。

 それでは今日の話題はこれにて終了。
 またねっ♪
 
 
 


2003/08/05(火) 『一段落。次は部屋の模様替えかな♪』

やっと一段落つきました。

 私が主催していたサクラ大戦オンラインのユーザーギルドは、無事に終了です。

 活動報告については、ぺあこいこいの集いの方に掲載していますので、気になる方は覗いてみてください。

 この報告・・・。作業時間12時間以上の大作です。

 なかなか厳しい作業でしたが、これで終わりかと思うと気合いがとぎれることもなくつつがなく作業できました。

 報告が終わって、やっと落ち着いて、日記かけるようになりました。
 ありがたいことです。

 さて、近況報告からあっさりと。

 今までお出かけやら、企画やらとどたばたしてましたので、今日から自習室にでかけるようになりました。

 家にいると暑すぎて、勉強できなくて。

 これからは朝から自習室にいますので、遊びたいひとは夜にお誘いお願い致します。

 では、やっぱりこの日記はこれがないとってわけで。
 今日の最近話題です。

 まず最初は私の趣味で。
 宝塚歌劇団月組の次期男役が彩輝直さんに決定しました。

 なぜこの話題を出すかというと、「エリザベート」新人公演で主役を演じて注目されていた人だからです。

 私にとって「エリザベート」は非常に好きな演目だったりします。
 そこで注目されていた人がトップスターになったわけで、非常に楽しみなのです。
 また今年も演目あるでしょうし、そのときには見に行きたいと思います。

 ほんと趣味的最近話題でごめんなさい(苦笑)

 次は、定番ですがこちらの話題。
 9年連続で離職者が就職者を上回ったという話題です。

 離職者は682万人、就職者は597万人と、この差は85万人です。
 今年も厳しい雇用環境ってことですね。

 では、話題のポイントです。
 離職者の内容を確認してみると、経営上の理由で離職した人は増加傾向、個人的理由で離職した人は減少傾向でした。

 つまり、職場にとどまろうとするけれど辞めさせられる傾向がさらに強まっているということ。

 うかうかしていられないです。
 社会人の皆様、リストラされないように、お仕事がんばっていきましょう♪

 今日はやることたくさんなので、これにて終了。
 私は早く宿題終わらせないとね(汗)

 それでは♪ 


Written by Hotaru/millefeuille

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