架空戦記
「佐藤中将の決断!」
〜戦争の終幕と君との別れ〜
中編
それは、あまりに突然の報告だった。
突然とは言っても、広島の原爆投下が行われてから、しばらく経って、ようやく届いた報告だった。
情報が交錯し、我が軍の連絡網は完全に混乱していたのだ。
そして、やっとの事で届いた報告だった。
私はすぐに、連絡をよこした若い水兵に掴みかかった。
「呉は、呉軍港はどうなったのだ! 呉軍港と連絡はつかんのか!」
水兵は苦しそうに顔を歪めながら漏らした。
「わ、わかりませんよ。かなり上層部も司令部も混乱しているようで…」
私は、水兵の襟首を離すと、その場にへたれこんだ。
どうしたらいいのか、私には解らなかった。
とにかく、私は頭の中で、あの時の雫の姿を思い出した。
あんなに元気だった雫が、そんなに簡単にくたばるはずはない…。
私は何度も何度も、念仏のように呟いていた。
実際、呉軍港は広島市から距離があったので、直接的な被害はなかった。
しかし、雫は運悪く、その災厄の当日に、広島市にいた。
なんという因果であろうか。
広島に展開していた陸軍は、ほぼ全滅し、救援要請が出されたのも、被爆から13時間が経過した頃だった。
もし大本営が、7月26日のポツダム宣言を黙殺せずに受諾をしていれば、こんな事態にはならなかっただろう。
だが、一大佐に過ぎない私には、到底止める事はできない事であった。
昭和20年8月9日
この日、長崎に原爆が投下され、さらにソ連軍が参戦した。
まさに、日本は風前の灯火。
喉元に刃物を突き付けられたも同然である。
この時、私は横須賀で、残存する艦隊の駆逐艦隊の司令官に就いていた。
と言っても、ほとんど動くことのない艦隊である。
私は、ただの飾り物の司令官に過ぎないと思った。
いてもいなくても、何も変わらないのだ。
私は、まるで生気の抜けた抜け殻のような日々を送っていた。
昭和20年8月10日
私にとって朗報と言っていいのか、それとも逆なのかは解らないが、一報の報告が私の下に届いた。
佐藤艦隊時代から、私の部下であった姫宮中尉が一通の電報を持って、司令官室に駆け込んできた。
「大佐、み、見つかりましたです!!」
私は、椅子に寄りかかったまま、無気力な返事をした。
「何が見つかったって?」
「瀬戸軍曹ですよ! 見つかりましたですよ、大佐!」
それを聞いた瞬間、私は、身体中に電撃が走ったかと思えるような衝撃を受けた。
「雫が見つかっただと! どこだ、場所は!!」
私は、期待と不安に包まれた。
まだ雫が生きて見つかったのか、遺体で見つかったのか聞いていないからだ。
それ以前に、怖くて聞けなかった。
「呉の海軍病院に収容されたようです。呉は、それほどの被害がなく、呉の海軍部隊が救援に出たところを収容されたそうです」
病院に収容されたという事は、雫は生きている!
私はすぐに司令官室を飛び出した。
「姫宮中尉、私は呉に行く。後は任せたからな」
当然、基地司令に許可なく行くことはできない。
しかし、一兵卒のために許可が下りるはずがない事は明白だった。
私は独断で行く覚悟だった。
後で、どんな処罰を受けようとも構わない。
私は輸送車両を見つけると、すぐにそれに飛び乗った。
周りの整備兵が慌てて集まってきた。
「大佐殿、何をなさってるんですか!」
「呉まで行くんだよ! 私の大切な人が待ってるんだ!!」
整備士長が、首にかけた少し油汚れのあるタオルを落とし、叫んだ。
「許可はあるんですか、許可は!」
「そんなもんあるか! どけ、どかないとひき殺してでも行くぞ!」
整備兵たちは、どいてくれる気配がなかった。
私には、本気でひき殺す気はない。
くそぅ…本当に殺さないと行けないのか…。
「大佐、待って下さい!」
私はとっさに振り返った、それは姫宮中尉だった。
「なんだよ、お前も邪魔をする気か!」
姫宮中尉は、整備兵をかき分けて、輸送車に乗ってきた。
「いいから来てください」
姫宮中尉が、しつこく腕を引っ張った。
私は、姫宮中尉まで邪魔をするのかと思い、怒りが頂点に達していた。
そんな私に、姫宮中尉は、小さな声で耳打ちした。
「私は、大佐の味方ですよ」
そう言うと、姫宮中尉は、私を引っ張っり降ろした。
私は、姫宮中尉を信じる事にした。
「おい、どういう事なんだ、姫宮中尉」
「あんな輸送車で、横須賀から呉まで行く気だったんですか? もっと早く着ける方法がありますよ」
着いたのは港だった。
もうすっかり寂しくなってしまった港である。
戦争初期には、多くの軍艦で賑わっていた事もあった。
今では、昔の夢物語である。
姫宮中尉が指差したのは海上だった。
そこには、一機の二式水上偵察機がエンジンを噴かせていた。
「あれに乗るのか?」
「はい、あの方が早いですよ」
しかし、私は少し躊躇した。
機体の周りには、数名の整備兵がいたからだ。
これでは、とてもじゃないが飛べる訳がない。
「ほら、急ぎますですよ」
姫宮中尉が腕を引っ張った。
「お、おい、整備兵がいるじゃないか! 整備兵を射殺でもして奪う気かよ」
姫宮中尉は、そんな私の腕を引っ張ったまま、二式水偵の前まで行った。
整備兵の一人がこっちに気づいた。
私は、雫に会うには本気で味方を撃たなければ会えないかもしれないと思った。
しかし、整備兵が発した言葉は予想外だった。
「大佐、姫宮中尉、お待ちしてました。準備は万端ですよ」
呆気にとられた。
どういう事なのか、解らなかった。
「どういう事だ、姫宮中尉」
「彼女たちは、元撫子の整備員ですよ。私が協力を頼んだんですよ」
私は、整備兵一人一人の顔までは覚えていない。
だが、そう言われれば見た事がある面子だった。
全員、まだ幼顔の少女だった。
「さっ、大佐、水偵に乗ってくださいです。操縦は私がしますです」
私は嬉しくて、つい涙をこぼした。
そんな顔を見られたくなくて、私は俯いた。
「お前ら、本当にありがとう…」
整備兵の少女5人は、全員嬉しそうに笑った。
「大佐、私たちは所属は違いますが、心はまだ貴方の部下ですよ」
「私たちに出来るのはここまでです。後は大佐にお任せします」
整備兵の少女たちは、全員揃って敬礼をした。
私も、それに答えるように敬礼で返した。
姫宮中尉は、もう水偵に搭乗していた。
「大佐、早くして下さいです。基地の連中が勘付き出してますです!」
基地の方が騒がしくなっていた。
出撃予定のない二式水偵を見た誰かが、司令部に通報したのだろう。
「お前らは早くここから離れろ。いいか、これは私が独断で起こした事だ、お前らは関係ない、いいな! 尋問されたら、私に脅されたと答えろ!」
整備兵の一人である少女は、戸惑い気味に言った。
「し、しかし、それでは大佐が…」
「私の事などいい…。お前らには未来があるからな。いいな、戦争が終わるまで、死ぬんじゃないぞ。中尉、出してくれ」
佐藤大佐は、勢いよく水偵の後部席に乗り込んだ。
整備兵の少女たちは、まだ整列したまま敬礼していた。
水偵は離水し、徐々に高度を上げた。
横須賀基地がどんどんと小さくなっていく。
「なあ、姫宮中尉、彼女たちはどうして協力してくれたんだ?」
エンジン音が少しうるさいが、姫宮中尉はちゃんとした返答をくれた。
「大佐が瀬戸軍曹に会いに行くって言ったんです。そしたら、二人のためなら一肌脱ごうって事になったんですよ」
「それでよく協力してくれたもんだな」
「大佐と瀬戸軍曹の事は、撫子のみんなが知ってましたですよ」
これには、少々驚いた。
できる限り、乗組員の前では、ただの上官と部下を演じていたからである。
「そうか…、解っていたか。本来ならば、部下とこういう関係になるのは良くないんだがな…」
「ふふ、いいじゃないですか。男と女がいれば、自然にそうなるもんですよ。それに、私や撫子のみんなは、影では応援してたんですよ」
姫宮中尉は、艦橋の司令部要員の一人だった。
ある意味で、もっとも私と雫の関係を知りえた人物と言えるだろう。
それに、ここまで来たら、もう引き返せない。
整備兵の少女たちの心意気のためにも、ここで引き返しては男がすたるであろう。
私は、少しすると、振動が心地よくて、つい眠りに陥ってしまった。
そんな時だ、私は夢を見た。
雫が私の前にいた。
しかし、その夢の中の雫は少し寂しげで、右手で、右目の辺りを隠していた。
そして、雫が呟いた。
声が小さすぎて、よくは聞き取れないが、唇の動きでわかった。
確かに夢の雫は、「さよなら…」と漏らしていた。
それと同時に、激しい銃撃音が響き、雫の小さな身体を機銃弾が貫いた。
私は、その瞬間、目が覚めた。
「大佐、起きて下さいです! 大佐!」
姫宮中尉の叫びと、実際の銃撃音が響いていた。
さっきの銃撃音は、これだったのだろう。
「どうした、姫宮中尉!」
「外を見てくださいです!!」
私は、座席から外を眺めた。
すると、後方にグラマンF6Fヘルキャットが2機、二式水偵に喰らいついていた。
「敵機! なんでこんなところに!」
「制空権は、もう無いも同然ですからね。大方、偵察にでも来たんでしょうね…」
姫宮中尉は、敵の機銃を避けながら、冷静に言った。
とてもではないが、下駄(フロート)付きの二式水偵とヘルキャットでは、性能が違いすぎる。
だが、ここで落ちる訳にはいかない!
「大佐、後部の旋回機銃で迎撃を!」
「よしっ、任せとけ!」
二式水偵は、後部に旋回式の7,7ミリ機銃を装備している。
こんな気休め程度の武装で、勝てるとは思えないが、やるしかないのである。
ヘルキャットは、一機が後ろにつこうと接近し、もう一機が、上空から一気に攻撃を仕掛けようと狙いを定めていた。
佐藤大佐は、機銃を乱射するが、当たるはずもない。
「大佐、低高度飛行に移りますです! 海面スレスレを飛びますですよ!」
二式水偵は、一気に高度を下げた。
二機のヘルキャットも、それを追う。
二式水偵は、海面スレスレを飛行した。
速力では、ヘルキャットに勝てない。
ならば、攻撃の掛け難い位置を飛ぶしかないのである。
二式水偵のフロートが、時より海面をかすった。
「お、おい、姫宮中尉、本当に大丈夫なんだろうな!」
「任して下さいよ、こう見えても私の腕は一流なんですよ!」
ヘルキャットも負けじと、海面スレスレについて来た。
機銃の火線が、座席のすぐ真横の空を飛び交っていく。
その時、後方のヘルキャットの左翼が、海面についてしまい、一気にそのヘルキャットは海面に叩きつけられた。
「やった!」
姫宮中尉が歓喜の声を上げた。
それを見たもう一機のヘルキャットは、無難に高度を上げて喰らいついてきた。
「あと一機か、一機くらい叩き落してやる!」
再び旋回機銃が火を噴いた。
しかし、やはり当たらない。
ヘルキャットは、巧みに右に左にと動き回り、攻撃の機会をうかがっていた。
右に回りこんできたヘルキャットは、二式水偵の右から左に通り過ぎていくように、通り過ぎざまに機銃を発砲してきた。
それは、二式水偵の右翼に数発当たった。
だが、まだ耐えていた。
「ぐっ…、くらった…!」
姫宮中尉の苦々しい声が響いた。
恐らく、次にくらえば終わりだろう。
こんな所で死んでたまるか、雫が私を待ってるんだ!
私は、とにかく機銃に全てを賭けたように、力の限り引き金を引いた。
機銃弾は、まるで敵機に吸い寄せられるように、激しくヘルキャットを貫いた。
ただ、偶然に当たっただけだとは思うが、私にはまるで引力のような物に、機銃弾が引き寄せられたように見えた。
ヘルキャットは、黒い煙を噴き上げると、空中爆発した。
「大佐、やりましたですね…」
「ああ。だがどうだ、まだ飛べるか?」
「は…はい、右翼に数発喰らっただけですから」
二式水偵は、再び高度をとり、呉へと進路をとった。
私は、再び眠気に襲われた。
敵の恐怖から解放された安堵感もあるだろうが、それ以上に、原爆投下の報告を受けてから、しっかりとした睡眠をとっていなかった。
それがたたっているのだろう。
今度は夢を見なかった。
ただ、何故か姫宮中尉の息遣いが聞こえていたような気がする。
さっきの戦闘で、興奮して息が上がっているのだろうか。
私は、そんな事を思いながら、深い眠りにと落ちていった。
私は、凄まじい振動で目が覚めた。
二式水偵が着水したのである。
「おっ…、着いたのか?」
「…はい、到着…しました」
姫宮中尉の声に元気がない。
長時間の飛行で疲れたのだろうか。
「おい、姫宮中尉、大丈夫か? やっぱ疲れたよな」
姫宮中尉は、頬に凄まじい程の汗をかいていた。
それでも、彼女はニッコリと笑って言った。
「少し疲れましたけど…、大佐のためですから…」
二式水偵は、完全に停止し、呉軍港の桟橋に横付けした。
「さっ…行って下さい。許可なく着水したんですから、兵隊がすぐに着ますよ…、兵隊に見つかると厄介ですから…」
「ああ、ありがとう、姫宮中尉。お前も、私に脅されたと言えよ。そうすれば、罪を避けられるかもしれない」
私は、すぐさま降りると、海軍病院へと走った。
姫宮中尉は、そんな佐藤大佐の背中を見ていた。
「…あ…んしん…して下さい…。私には…もう…話す機会も…ないでしょうから…」
姫宮中尉の座席の下には、大量の血が溜まっていた。
実は、先ほどの戦闘で、右翼を撃たれた際、姫宮中尉自身も撃たれていたのである。
彼女は、その事実を佐藤大佐に話す事なく飛行を続け、平静を装っていた。
これが、彼女の出来る、唯一の協力だったのかもしれない。
姫宮中尉は、座席にもたれたまま、静かに目を閉じた。
彼女が息を引き取ったのは、この数分後である。
この水偵に気づき、兵隊が向かった時には、ただ少女の遺体が、満足そうな笑みを浮かべて座席に座っているだけだったという。
後編に続く
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